セカンド・インプレッション・前編
宇宙空間での単独訓練から戻った翌日、自分の体が女になった。
秘かに気にしている小柄な体つきはそのままだが、手足はさらに細くなった。
裏腹に胸はきつくなった。
筋肉というにはあまりに柔らかい二つの膨らみのせいだろう。
あり得ない事実に、ラグランジュの基地は一時騒然となった。
モレノの手で検査はうけたが、当然のこと原因がわかる筈もない。
ただ性別が変わっても、マイスターとしての活動には問題はないと判断された。
刹那にとって、それがわかれば当面は問題がない。
周りの騒ぎをよそに、刹那自身はかえって平然としていた。
さらに詳しい検査を、とモレノは勧めてきた。
だが刹那は当初の予定通り、
残りのマイスターやクルーの滞在している、王留美の別邸へむかった。
地上に降りた刹那は、ろくに説明もしないまま仲間達に会った。
ティエリアは、刹那の姿を見たあと、絶句した。
普段であれば、必ず口をつくだろう、
非難めいた言葉を一言も発することのないまま、卒倒した。
どうやら許容範囲を超えてしまったらしい。
アレルヤはなぜか笑った。
おかしいというより困惑のあまり、
どう対処していいか、どんな声かけをしていいのか分からなくなったせいらしい。
笑うしかないということかもしれない。
女性陣はみな口を揃えて「可愛い」と言い、
歓声をもって刹那を迎えた。
そしてロックオンである。
彼も刹那の姿を見た時はさすがに驚いたようだった。
だがすぐに「随分とまた、可愛らしくなったもんだ」
と笑いながら話しかけてきた。
ポンポンと頭に手を置くという仕草のおまけつきで、
口調も態度も普段と変わりなかった。
それは「女性」に対する態度というより、
「子供」に対する態度と言っていい。
刹那は秘かに落胆した。
彼が唯一気になっていたのは、ロックオンの反応だけだった。
内心で望んでいたような、リアクションが返らなかったことにはがっかりした。
だが刹那は普段むっつりとしていて表情に乏しい。
感情も読みにくい。
その内面は誰にも察せられることはなかった。
望みが叶った気がした。
この体になった時、刹那が強く思ったのは、それだった。
これを知ったら、彼はどう反応してくるだろう。
それを考えていた。
驚いてくれるだろうか。
自分を見る目を少しは変えてくれるだろうか。
女性になれば、自分への感情も変わるのではないか。
保護者とか弟とか「庇護者」としての立場からではない気持ちを、
持ってくれるのではないかと。
自分と、同じ気持ちを抱いてくれるのではないかと。
しかし、期待に反して、ロックオンの反応はまるで男の時と変わらなかった。
刹那は諦められなかった。
こんなことは、今後二度と起きない。
この機会に、なんとしてもロックオンに自分を意識させたい。
刹那はそこで「メイク」というものをしてみることにした。
ある程度の年齢になると、女性はみなそれを自らの顔に施すとデータにあった。
部位によって用いる道具の違うそれは、
施すことで女性を魅力的に、より美しくする効果があるという。
端末から必要なデータを集め、道具を揃えて刹那は初めての「メイク」に望んだ。
手に入れたマニュアルで、一通りのメイクを施した刹那は、鏡で自分の顔を確認した。
(これでいいのだろうか…)
マニュアル通りに全てやり終えたが、よくわからない。
それに、どうやらこれは第三者の評価も必要らしい。
戦闘ではないとはいえ、
刹那にとってはこれもれっきとしたミッションといっていい。
ミッションであれば、確実に果たしたい。
そこで刹那は、第三者の評価を求め、スメラギの部屋に向かった。
部屋を訊ねた時、そこにはタイミングのいいことにクリスもいた。
ソレスタル・ビーイングは現在、
王留美の厚意で提供された邸宅で休暇をとっている。
活動開始までまだ半年強あるが、訓練や調整は欠かしていない。
それが一段落し、心身の緊張を和らげ、
休養をとるようにとのヴェーダの指示だった。
そこで中核メンバー達は、王家の総帥の豪華な別邸で、
のんびりと過ごしているという訳だった。
スメラギ達は部屋でアルコールを開けていた。
「刹那、何、その顔は!?」
出迎えたクリスは、刹那の顔を一目見るなり、頓狂な声をあげた。
「どうしたの?クリス」
何事かとドアまで出て来たスメラギは、刹那の顔を見るなり吹きだした。
スメラギ達の前には、
首の色と明らかに異なる、明るいトーンのファンデーションを厚く塗り、
殴られたのかと聞きたくなる位青いアイシャドウ、
ぼってりと赤い口紅を塗りたくった刹那がいた。
「見てわからないか、メイクだ」
「メイクって……」
クリスはそのまま、あっけにとられていた。
「それは分かるわよ。でも一体どうして……」
何とか我慢して会話していたが、耐えられなくなったらしい。
スメラギは途中まで話し手が、とうとう腹を抱えて笑い出した。
「メイクには第三者の評価が必要らしい。だからここへ来た」
なにせ初めての経験である。
だがこの反応からするに、あまりいい評価ではないようだ。
刹那は率直に「おかしいか?」と訊ねた。
「やりすぎよ」
後で笑っているスメラギを「スメラギさん」と窘めながら、
クリスも笑いを耐えているせいか顔を歪めていた。
「そうか」
どうやら失敗だったらしい。
なら方法を改良しなければ。
刹那は「すまなかった」とだけいって、踵をかえした。
「ちょっと待って」
その手をクリスが掴んで止めた。
「一体どうしちゃったの?刹那」
いきなりそんなことするなんて。
クリスの問いかけに刹那は俯いた。
クリスの背中越しにそんな刹那を見ていたスメラギが、笑いを引っ込めた。
「理由があるんでしょ?それを話してくれないかしら」
顔を上げた刹那に目線で頷くと、
スメラギは中に入るように手招きした。
部屋に入った刹那は、
両隣をスメラギとクリスに挟まれてソファに腰掛け、理由を話した。
話すにつけ、二人の表情が変わっていく。
全て話し終わったとき、刹那はスメラギに抱きしめられた。
「可愛いわ!刹那…!!」
「恋する乙女そのものじゃない」
二人は口々に、感極まったように言うと、刹那をもみくちゃにした。
『恋』とか『乙女』とかいうものはよく分からないが、ロックオンは好きだ。
そう言ったらますます感激された。
「任せておいて」
「戦術予報士の腕前をみせてあげるわ」
刹那を萱の外に置いて、
二人は勝手に盛り上がり、その手を握ってきた。
メイクはすればいいってもんじゃないわ。
スメラギはそう言って刹那のメイクを落としにかかった。
素顔に戻したあとで、普段つかっているメイク道具一式をもってくる。
肌理が整っていて若い刹那の肌には、厚塗りのファンデは必要ない。
ごく薄く、ということでベースに使うという下地だけを塗られた。
クリスは「アイメイクをポイントにしましょう」と言った。
刹那の目はアーモンド形で大きいから、それを強調したいと。
そこでアイラインを目の縁に引き、くっきりさせた。
スメラギはその上に、目尻だけ睫毛をした。
元々長くカールしている睫毛だからあえて全体は強調しなくていい。
下がり気味につけることで、ややつり上がった刹那の目元が柔らかくなる。
そこにマスカラを塗った。
アイシャドウは目の際にニュアンス的にグレーをおとす。
チークはピンク系をほんのりと上気したようにいれた。
口紅はプラムローズの薄づきを、直塗りでつけ、
中央にグロスをいれて立体感をだした。
彼女らの話は、刹那にとってはまるで異次元の会話だった。
あーだの、こーだの言われてもまるで理解できない。
顔もあちこちいじられ、人体実験されている気分の刹那だったが、
メイクを全て終え、鏡を見せられ、驚いた。
さっき自分でしたメイクとはまるで違った。
「これは俺なのか…?」
「そうよ」とスメラギが頷けば、
「すごく可愛い!刹那」とクリスが両肩に手をおいて言った。
「これなら……ロックオンも、驚くか」
「勿論よ」
スメラギが太鼓判を押す。
クリスもうんうんと頷いたが、刹那の顔をじっと見て、不意に人の悪い笑みを浮かべた。
「ね、刹那。どうせ驚かすなら、もっと驚かさない?」
「クリス?」
「どういうことだ?」
「ここまでやったなら徹底的にやりましょうよ」
クリスは服も着替えよう、と言った。
スメラギもすぐさま同意する。
刹那は二人に言われるまま、今度は着替えをさせられた。
「何がいいかしら…」
王家の衣装部屋を引っ掻きまわしながら、二人は思案にくれる。
女性の服装のことなど刹那は何も分からないから、二人に任せていた。
だが任せきりも悪い気がして、とりあえず手近な服を手にとってみた。
「これはどうだろうか」
「セーラー服?」
「悪くないけど…」
一応着てみましょうか、と言われて身につけた。
刹那には似合っていたが、
これだとロックオンが、ますます保護者気分になるかもしれない。
普段の言動から、スメラギはそう推察した。
クリスも「そうですね」と言って、この服は却下された。
「これなんか、どうです?スメラギさん」
クリスが見せたのは、フリルのエプロンのメイド服だった。
「じゃあそれ」と、着させられた。
黒のミニフレアスカートに胸下からのフリルエプロンの服だった。
胸がないと悲しくなる仕様の服だが、
刹那はしっかりと育った胸で女性化していて、これも問題なかった。
「白は刹那の肌に合うわね」
スメラギが感心する。
「愛想のない顔とギャップがいいですよ」
クリスが何気に失礼なことを言った。
「でもねえ…」
ヘタをするとイメクラにならないかしら。
これは好き嫌いがあるし。
スメラギの指摘に、クリスも「ちょっと特殊かなあ」と同意する。
今度は着せ替え人形よろしく、あれこれ試着させられた刹那だが、
最後にどうにか落ち着いた。
それは刹那の瞳と同じ、深紅のチャイナドレスを着た時だった。
クリスが髪を整え、前髪を花飾りのついたピンで止める。
「可愛い!刹那!!」
スメラギとクリスはそんな刹那を見て、歓声を上げた。
「これならロックオンも、驚くわ」
「そうか…?」
「うん、保証する」
二人のお墨付きを貰った刹那は改めて鏡で自分の姿を確認した。
自分の目で見ているから、間違いのない筈だ。
なのに一瞬他人を見ているような錯覚に囚われた。
確かに、これならロックオンも驚いてくれるかもしれない。
「感謝する」
刹那はどこか恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔をして二人に礼を言った。
そんな刹那に、二人は微笑ましい思いになって、目を見交わしあった。
<続く>