セカンド・インプレッション・後編
勘弁して欲しい。
それがロックオンの偽らざる現在の気持ちだ。
何を勘弁して欲しいのかと言えば、刹那である。
より正確にいうとガンダムマイスターの最年少である、
刹那・F・セイエイが女性化したことである。
性別が逆転するなど、通常では考えられない事態だ。
だが自分達の属する組織ソレスタル・ビーイングは、
しばらく後の未来で考えられない事態を起こす。
人が想像しうる全てのことは現実に起こり得ることだ,
と古の人間も言っている。
事実は受け入れるしかない。
しかし最初の受け入れ方がまずかったと思うロックオンである。
女性化した刹那を初めて見たとき、ティエリアは卒倒した。
アレルヤはなんとか正気は保ったものの、困惑して笑うしかない、という状況だった。
そして自分は平静に受け止めた、あくまでも表面上は。
内心激しく狼狽しながら
「随分とまた、可愛らしくなったもんだ」などと声をかけ、
頭まで撫でた自分だが、いま思うとあれがそもそもの間違いだった。
他の二人のように、正直に態度に出せばよかったのだ。
それを年長者の体面なのかなんなのか、悠然と受け止めた振りをした。
おかげでその後も、その仮面で過ごさなければならず、
実に苦労している現状があった。
(なんだってあんなこと言っちまったんだか)
自分で呆れ返りながらため息を吐くロックオンである。
仮面と言えば聞こえはいいが、
虚勢を打ち崩すような事が起こったのは、一週間前である。
刹那が今度はチャイナドレスを纏って現れた。
しかも顔には化粧のオマケつきである。
ロックオンは一瞬呆然とした。
これがあの刹那か。
そう思う位可愛らしい。
しかもチャイナドレスはプロポーションがはっきり分かる。
スレンダーなくせに出るところは出ていて、
童顔な顔立ちとのアンバランスさが、妙な色気まで醸し出していた。
「ロックオンどうだ?」と手を広げられたが、
どうだもなにも、何を言っていいか分からなくなった。
「いいんじゃないか」と言うのが精一杯だった。
自分の返答に刹那は不満そうな顔をしたが、それもよく分からない。
元々男であるのだから、女の格好を誉められて嬉しいとも思えないのに、
あの反応もわからない。
その後はもっと分からない事が起こった。
次の日は、いずれソレスタル・ビーイングで導入予定という制服を着て現れた。
ボレロ型の短いジャケット、
下はストレッチ素材の白いシャツ、ミニのタイトにブーツ。
チャイナドレスと同じように、プロポーションははっきり分かった。
それを着て、やはり「どうだ?」と訊ねられる。
何で自分に聞いてくるのか分からない、
と思いながら無難な言葉を返した。
以後何回か同じようなことがあった後、
ロックオンは刹那を避けるようになって今に至る。
刹那を避けるようになったのは、
答えに窮することを訪ねてくるのが理由ではない。
その根底にあるものに気づきそうになるからだった。
刹那が女性になった時、自分の心の何かが剥がれたのがわかった。
その後、女性としての姿を見せつけられる度、
その何かを覆った膜が一枚一枚、取り払われていく。
中心にある「核」の正体と、その名前がなんなのか、
今の自分には朧気に分かるようになっていた。
(いや……)
そうではない。
以前から分かっていた。
それに分別とか理性とかいう左脳的思考を貼り付かせて、
気が付かない振りをしていただけだ。
(まいったな)
ロックオンは頭を抱えた。
「えっ?同じ部屋になる!?」
「そうだ」
刹那の爆弾発言に、スメラギは頓狂な声を上げた。
クリスも吃驚して大きな瞳をさらに丸くしていた。
「ちょっと一体どうして」
「スメラギ・李・ノリエガやクリスティナ・シエラの助言に従い、
色々な服装をしたが全く効果がない。
ロックオンが俺を見る目は変わらないことがわかった」
だったら最終手段だ。
「最終手段って」と困惑するクリスに
「意味が分かって言っているのかしら?」とスメラギが訊ねた。
刹那はこくり、と頷く。
「刹那、さすがにそれは軽率じゃない」
というか短絡的というか。
クリスがどういったもんか、と悩む。
「短絡的な思考ではない」
思い詰めたような瞳で、クリスに答えた。
「好きなのね、ロックオンが」
スメラギは静かに刹那に近づくと、屈んで顔を覗きこんだ。
「ああ、好きだ」
ずっと好きだった。
だから短絡的に考えた訳ではない。
直球過ぎる告白に、クリスは頬を赤らめたが、
スメラギは表情を変えなかった。
「ロックオンはそうじゃないかもしれないのよ」
単に「男」としての行動になるかもしれないわ。
「構わない。これは俺の望みなんだ」
「刹那…」
「それにこの身体はいずれ元に戻る。
俺はそう思っている。元に戻れば終わる話だ」
「……わかったわ、刹那」
刹那の決意は固い。
強情なこの少年(いまは少女だが)の決意は容易に覆せるものではない。
そして人を好きになる感情は、理性で抑えられるものでもなかった。
「でも刹那、どうやって誘うの?」
どういう口実をそこに作るつもりなのか。
直球でかますのは芸がないし、
ロックオンが冗談だろうと相手にしないことは明白だ。
かいって雰囲気をその方向に自然にもっていくのも、
身体が女性化しただけの刹那には難しい気がした。
刹那が思うより、ハードルは高い気がする。
「心配ない」
一緒に寝る、と刹那は言った。
基地で同室だった時は、よく同じベッドで眠っていた。
悪夢でうなされた自分を、ずっと抱きしめてくれていた。
だから今度もそう言ってみる。
それが大変なんだ、
と言おうとした二人は呆気に取られ、言葉を失う。
その間に刹那は出ていってしまった。
「ちょっとどう思います、スメラギさん」
「どう考えても脈ありでしょう」
「普通はしませんもんねえ」
刹那が出ていったあと、二人は言葉を交わし合った。
その夜、眠りの浅いまままどろんでいたロックオンは、
ドアの開く気配で目を開けた。
暗がりに立つ影を確認しようと灯りをつける。
そこに刹那が立っていた。
枕を抱え、寝間着代わりにタンクトップと短パンを着ていた。
「一緒に寝てもいいか」
言うなり、
ロックオンの返事も待たず、ベッドに潜り込んできた。
「おい、刹那!?」
そのまま抱きついてやったら、うろたえた声を上げた。
「うなされて眠れない。駄目か」
「いや、駄目ってわけじゃ…」
「じゃあ、頼む」
ロックオンは自分のTシャツを握りしめた、
刹那の頭を見下ろして、ため息を吐いた。
「久しぶりだな、お前がこうしてくるのは…」
いつものように頭を撫でられる。
大きな指が、癖のある自分の硬い髪を梳いていく感触が心地いい。
なんとも言えない安心感を感じる。
そして温かな、人の温もり。
それだけで満足できたら良かったのに。
これ以上を求める気持ちが芽生えたから余計に苦しくなった。
刹那は自らの欲深さを自覚しながら、ロックオンに抱きつく腕に力を込めた。
「刹那、ちょっと離れてくれないか」
「なぜだ」
「いや、あんまりひっつくとお前の胸が当たるんだ」
困ったようなロックオンの声に、顔を上げた。
「女だと勝手が違うか」
意識するか、と刹那が訊ねてくる。
どこか挑発的な言い方でロックオンは咄嗟に「まさか」と答えてしまった。
「俺の好みは年上の女だ。お子様にその気になるかよ」
「…そうか……」
刹那はぽつり、と言った後、
急にロックオンから身体を離して起き上がった。
「おい、急にどうした」
「部屋に戻る」
「戻るってお前…」
大丈夫なのかよ。
「平気だ」
無表情だがロックオンには分かる。
全然平気ではない。
出会ったばかりの頃、
うなされた自分の胸の苦しさを必死に耐えていた顔そのものだ。
そんな顔はさせたくなかった。
自分が側についていてやると、それが和らぐ。
傍らで安らいだ表情で眠る刹那に、
何ともいえない温かい気持ちが溢れたのを覚えている。
ロックオンは刹那の腕をとり、自分に抱き寄せた。
「無理すんなって」
「離せ」
腕の中で刹那がもがく。
「嫌だね、こんなお前、放っておけるか」
一番欲しいものはくれないくせに、どうしてこんなに優しいのか。
いや、優しいから逆に辛くなる。
刹那は抱きしめられながら唇を噛んだ。
望むものは得られないのはわかった。
だが、それならば。
「ロックオン、抱いてくれないか」
顔を上げ、深い緑の瞳を見つめ、
刹那は直截な言葉を紡いだ。
「……抱いてるだろ」
「そういう意味じゃない」
ロックオンは目を瞠ったが
「駄目だって」ときっぱり首を振った。
どこまでも平静なその態度に、刹那はなおさら辛くなる。
最後の手段と思ったそれも、はぐらかされた。
だとしたら自分は、もうどうしていいのかわからない。
「……」
言葉が出てこない自分を、あやすように、ロックオンが頭を撫でてきた。
「ちゃんと手順を踏まなきゃ駄目だろ」
「手順?」
「そう、俺お前まだ、好きだって言ってないもんな」
苦笑いしながら言ったロックオンに、刹那は目を見開いた。
ロックオンは、ミス・スメラギに聞かれたことを思い返す。
刹那のことをどう思っているのか、気持ちを伝えてやって欲しいと。
何のことだとしらばっくれたロックオンだが、
同室で一緒に寝ていたことを指摘され、言葉に詰まった。
『ただの仲間にそこまでするかしら』
その通りだった。
刹那も貴方が好きみたいだから、ちゃんと答えをあげてちょうだい
酒ばかり飲んでいるが、戦術予報士としての目は確からしい。
隠していた事実を、突きつけてきた。
指摘されたことで、ようやく観念することができた。
「ロックオン…?」
「好きだよ、刹那」
刹那が「女性」になったことで、
思いがけず自覚した、というよりさせられた。
自覚してしまってかえってスッキリした。
ロックオンは刹那の頬を撫でた。
「ミス・スメラギから聞いた。
お前俺に見せたくてあんなことしてたんだろ」
毎日違う衣装を着てきたり、化粧をしてきたり。
全て自分に意識して欲しかったから。
今までと違う気持ちで見て欲しかったから。
それが分かった時、嬉しかったのだとロックオンは言った。
いまだってこうやって、自分に迫ってきている。
誘い方も実に刹那らしい。
ロックオンは笑った。
「ロックオン」
刹那はロックオンの首に抱きついた。
「抱いてくれ」なんて言ってきた癖に、仕草はどこか子供っぽい。
ロックオンは刹那の頭をぽんぽん叩いた後、顎をとって口づけた。
重ねた唇から舌を忍び込ませると、
刹那の身体からすぐに力が抜けた。
意図を持って背中をなぞり、
タンクトップの裾から手を差し入れたところで、刹那の身体がびくり、と震えた。
これくらいでこの反応では、この先に進んだらどうなるのか。
「刹那、やめておくか?」
口を離したロックオンが、笑って訊ねる。
刹那は首を振った。
「了解」
ロックオンは刹那の背中を支えて、ベッドに横たえた。
翌日の朝、ダイニングに現れたロックオンにスメラギが声をかけてきた。
「おはよう、ロックオン」
「ミス・スメラギ。今日は早いな」
休暇に入ってからは飲んだくれて、この時間に起きていることはまずない。
珍しいこともあるもんだと思いながら、サーバーからコーヒーを入れる。
「刹那は?」と聞かれて、
ロックオンはマグにつけた口を離した。
はやく起きたのは、こういう意味があった訳か。
「まだ寝てる」
隠しても仕方ないので、ロックオンは正直に答えた。
「刹那の願いは叶ったようね」
「ご想像に任せるよ」
意味ありげに見あげる戦術予報士を、軽くいなして言った。
「ミス・スメラギ、
今後は刹那にああいう服を着させるのは止めてくれよ」
「あら?どうして」
似合ってたし、可愛かったじゃないの。
「男ってのは、本命には狭量なもんでね」
ニールはコーヒーを一口啜ったあと、
マグを持ってリビングに歩いて言った。
(語るに落ちてるじゃないの)
スメラギは可笑しくなる。
(おあいにくさま、ロックオン)
これからもさせていただくわよ。
今度は別の意味で反応が楽しみになった。
次はどんな服がいいだろう。
スメラギは想像しながら秘かに笑った。
<終わり>