Masquerade・前編

 

 

徐々に大きくなっていく、電子音の響きに目を開けた。
枕元のアラームを切り、時間を確認する。

起床時刻ちょうどだった。

ニールは、ぼやけた頭と眠い目をしばたかせる。
昨晩は刹那の部屋で身体を重ねたあと、自室に帰ってきた。
刹那には、どうやら早朝から偵察行動があるらしい。

起こしては申し訳ないから、部屋で休んでくれと、
コトが終わった後に言われた。

色気も素っ気もないピロートークである。

そんな予定があるなら、なんで先に言わない。

わざわざ刹那に無理をさせる真似など、自分にとっても本意ではなかったのに。
だが「俺がそうしたかった」と言われて相好を崩した。

偵察の内容によっては、23日戻れない。
だから一緒にいたかったらしい。

そんな可愛いことまで言われてしまい、
あやうくまた行為に及びそうになった所を、理性で押し留め部屋に戻ってきた。

最近ますます素直になってきた刹那である。
思い出すと顔が緩む。

ニールは締まりの無い顔をしながら起き上がり、シャワールームに向かった。
いつものように、歯を磨き、顔を洗ったあと、何気なく鏡を覗いて仰天した。

「なに!?」

素っ頓狂な声と共に、鏡に思わず手をついて自分の顔を確認する。

(なんで右目がある!?)

ニールは5年前に右目を失って以来、ずっと隻眼だ。
だがいま、目の前に写る顔にはきちんと両眼が揃っている。

見間違いか、それとも夢か。

鏡に顔を近づけて確認したあと、
片手を右目に当てたり離したり、をくり返す。
ついでに腿をつねってみた。

「…っ!」

感覚はある、おまけにかなり痛い。
夢でも、見間違いでもないらしい。

(どういうことだよ!?)

寝ぼけ眼の頭が完全に覚醒し、締まりのなかった顔は逆に強張った。

そこへけたたましく「兄さん!!」
という怒鳴り声が聞こえた。

双子の弟ライルの声である。
顔も姿もウリ二つだから、当然声もそっくりだ。

「兄さん、どこだよ!?」

表面上は、自分より斜に構えている弟が、やけに慌てた声を出している。
モニターからか、と思ったが肉声だった。
ニールははっ、とした。

まさか。

「ライル!!」

ニールは急いで、シャワールームを出ていく。
そこにいたのは、紛れもなく右目を失った自分の姿をしたライルだった。

「ライル、お前…!」

「やっぱりだ…」

ライルは呆然とした声を出したあと
「どういうことだよ、兄さん!!」と詰め寄ってきた。

「俺が知るか!」

二人の身体が、どういう理由か入れ替わってしまっていた。

 

「どうする…?」

「どうするって言われてもなあ…」

ベッドに並んで座り込んで、ニールは肩を竦めた。

弟のライルと肉体が入れ替わったのはわかったが、原因は全くわからない。
訊ねられても答えようがないので、言葉を濁す。

「とりあえずは、みんなに事情を話した方がいいだろうな」

「…かえって混乱しないか?」

いまの自分達は、
ニールの姿をしているのがライルで、
ライルの姿をしているのがニールなのである。

「まあ今は眼帯があるからな、それで区別できるだろ」

親でさえ間違えた自分達である。
仲間達にそれ以上のものを求めても仕方ない。
それより話して元に戻す方法を探すことが大事だとニールは考えていた。

「いや、それはそうなんだけどさ…」

「なんだ?」

「ちょっと面白くないか、これ」

ライルが急に思ってもみないことを言いだした。

「なにが面白いんだよ」

「今はオレが兄さんの姿で、兄さんがオレの姿…
 てことは自分に対するみんなの態度を客観的に見られるってことだよ」

「まあそういうことになるな」

23日このままでいてみようぜ、兄さん」

ライルの提案に、今度は目を剥いた。

「なに言い出すんだ、お前」

「いいじゃん。こういうのって、もう二度と経験できないぜ」

気を取り直したら、と思ったらまたろくでもないことを、
とニールは思ったが、同時に少しだけ興味も湧いた。

気が向かなければ、頭ごなしに否定されるのに、
それがないことにライルは脈あり、とみてどんどん押しにかかった。

ライルの丸め込みにかかったニールが、とうとうその提案を承諾する。
ライルは内心で手を叩いて快哉した。

だが、ただ一つ問題があった。

「兄さん、刹那はどうする?話しておいた方がいいか」

「そうだよな…」

兄も顎に手を当てた。
ライルの話に乗ったはいいが、刹那は他のメンバーとは違う。

彼はニールにとって一番愛しい相手である。刹那にとってもそれは同じで、
二人は愛し合う男女のような関係で結ばれてもいた。

これはさすがになりすましには問題があるだろう。
自分はともかく、二人には。
ライルはそう思って兄に聞いた。

「まあ刹那は言わなくても気が付くと思うけどな」

確かに彼は声だけで、自分と兄を完壁に区別する。

「はいはい、ごちそうさま」

真面目な顔をしてとんだ惚気である。
ライルはうんざりとする。

この自信はどこからくるものやらと呆れながら、どこか腹立たしい。
そこまで相手を無条件に信頼できる兄が、そんな相手がいることが。

「でもわからないぜ」

さざ波一つない水面に、小石を投げ込んでやる。

兄さんは刹那を買い被りすぎだ。
あいつだって人間だ、さすがに気がつかないかもしれない。

軽い気持ちで言ったのに、波紋はライルの予想以上に水面に広がった。

「そんなことはない」

ニールはムキになって否定したものの、再び考えた。
多分すぐに気がつくとは思う。

だがそれまで、刹那がどういう態度を普段とっているのか、
自分で見られるのは面白い、と思った。

「じゃあ、オレ達のことを話すのは刹那が気が付いたら…
 てことでどう?」

兄さん達の愛の深さを見せてくれよ。

ライルが駄目押しで言うと、
兄の沽券で引っ込みがつかなくなったニールは「いいぜ」と頷くしかなかった。

 

ライルにうまいこと乗せられた気がする。

だが自分で言った以上引っ込みがつかない。
ライルは周到にもその後、言動でバレないように、
お互いふさわしい行動をとることまでニールに約束させた。

(まさかあいつが図ったことじゃないだろうな)

切り替えの早いライルにそこまで邪推したくなりながら、食堂に向かった。

 

二人が食堂に入ると、偵察行動を終えたらしい、
刹那がもどってきていて、テーブルに座っていた。
他にはラッセとイアンがいた。
後のメンバーは食事を終え、各自の持ち場や機体整備を行っているという。

ニールはすかさず刹那に近づこうとして、ライルに襟を引っ張られる。
機先を制せられたところで、ライルが刹那に近づいていった。

「おはよう、刹那」

言うなり屈んで、頬にキスをしたライルに、ニールは目を剥く。

刹那も目を丸くした。
スプーンを持った手が止まり、ライルを見あげる。

「なにすんだ、ライル!」と言おうとして、ニールは慌てて口を噤んだ。
いまは自分がライルなのである。
文句を言うのもおかしな話だ、第一言ったら一発でばれる。

ニールは落ち着け、と頭の中でくり返し、
ライルだったらどうするか、必死で思案した。

そうしないと、ライルの頭(自分の頭でもあるが)をぶん殴りたくなる。

「朝から熱いねえ、お二人さん」

ニールはようやく、これでどうだと思いながら話しかけた。
刹那に見えないところで、ライルが素早く親指を立ててくる。

どうやら「正解」といいたいらしいが、
ニール自身は、何を言っているのかと軽い自己嫌悪に陥る。
イアンとラッセが「全くだ」だの「少しは人目を気にしろ」
だの合いの手をいれることが、なおさら拍車をかけてくれた。

(なに言ってるんだ、俺は…)

「どうしたんだ?」

当の刹那は、不審な顔でライルに聞いた。
正確に言えば、ニールの姿をしたライルに。

「何が?」

「お前がそんなことしてくるなんて…」

刹那の声はどこか戸惑っていた。

(あれ?いつも兄さんしてたよな、こんなこと)と思いながら、
ライルは「いつもの挨拶じゃないか」と屈託なく笑った。

「お前が可愛いから、ついそうしちまった」

向かいのイアンとラッセが、
目線を交わしあい、げんなりした顔になった。

朝から勘弁してくれと、その顔には正直に書いてあった。

「まったく、一人身の男には刺激が強いよ」

ニールはライル達に近づくと、
「兄さん、ちょっと…」と言って、ライルの腕を取って立ち上がらせ、
そのまま食堂の外へ引っ張っていく。

3人はどこかあっけに取られてそれを見送った。

「お前、なんだ!いきなり」

食堂から少し離れた通路まで、
ライルを連行するように連れ出すとニールは怒鳴った。

「あれ?兄さんを真似してやった行動だけど…」

マズかったかな。
それとも焼きもちやいたのかな。

軽い言動に眩暈がする。

「唐突なんだよ、お前は。刹那がビックリしてたじゃないか」

「そうか?」

ライルはきょとん、とした顔で言った。
自分の姿で、そんな顔されるとさらに腹が立つ。

「気づけよ、お前」

ニールは、がりがりと髪を掻き回した。

「それにな、言葉が違う。
 『刹那が可愛いから』じゃない、『すまない、つい…』くらいで濁せ。
 俺はそういうことは二人だけの時しか言わない」

断言するニールに、そうだっけ、
と大いに疑問に思うライルだが、敢えては聞かない。

二人だけと兄が言うからにはそういうことにしておこう。
だが兄はどういう時にそれを言い、刹那はどういう顔でそれを受けるのか。
実に興味がわいたが、これも諦めた。
とても聞ける雰囲気ではない、火に油を注ぐことは目に見えていた。

「わかった、気をつける」

真面目くさって頷いて、ようやく食事に戻れた。

「なに話してたんだ?」

戻ってくるなり、ラッセが訊ねる。
既に食事は終わったらしく、飲み物のボトルを吸っていた。

「ん?兄弟同士の話ってやつ」

言うほどのことじゃない、とニールはトレーを手にしながら、
無意識に刹那の隣に腰掛けようとして、後からどつかれた。

「そこはオレの席だろ」

ライルが顎をしゃくって促す。

(この…!)
と内心思いながら「はいはい」とどいて、向かい側に座り直した。

「今日の食事はなんだ?刹那」

「見れば分かるだろう、お前と同じだ」

(いいぞ、刹那)

自分が冷たくされているというのに、ニールは拳を握った。

「オレには、その付け合わせがない」

刹那のトレーにのったポテトをフォークで指してライルは言う。

「ああ、どうやら儂達で最後だったみたいだ」

すまんな、とイアンが言った。
刹那は「良ければ食べろ」
とライルのトレーに、自分のポテトを乗せてやる。

「サンキュ、刹那」

嬉しそうに笑うライルに、刹那も笑う。
向かいに座るニールは、その遣り取りが面白くない。

腹立たしい思いがこみあげて、食事が進まない。
ニールはおもむろに席を立った。

「ロックオン?」

トレーをもったまま立ち上がったニールに、刹那が怪訝な目をむけた。

「どうした?」

ラッセが呑気に声を上げる。

「今日は食欲がいま一つでね、失礼するよ」

そそくさと食堂を後にするニールの背中に
「なんだあ?あいつ」とイアンの訝しむ声が聞こえた。

 

腹が立つ。

だが何に腹が立つのか。
狭量さを見せつけられた自分自身の心か。

それとも気が付かない刹那にか。

身体が入れ替わってから、2日が過ぎたが、トレミーのクルーはもとより、
刹那も一向に自分達の中身が入れ替わったことに気が付く様子がない。

ライルは面白がっているようだが、ニールは全然面白くない。

傍から他人に優しくする恋人の姿など見ても、何も嬉しくなかった。
刹那に腹を立てるのはお門違いだと分かっている。

彼はライルを自分だと思っている。
思っているもなにも、体は真実自分自身だ。

刹那がみせるのは、普段の自分への態度だ。
彼はああいう声で、表情で、態度で、自分に接していたのだ。
他の誰に向けるより、柔らかい表情と声で、素直な態度で自分に向きあっていた。

分かったことは嬉しいが、同時にやるせない。

ニールは、自分で自分に焼きもちという、
馬鹿な心境をもてあます状況に陥っていた。

だが妙な意地が邪魔をして言うことができない。
ライルが内心それを狙っていることがわかるから、なおさら。

そして機会を逸したということもある。
すでに2日経ち、今日は3日目である。

ここで刹那に言えば、どうなるだろう。

自分だったら確実に腹を立てる。
当然刹那がどういう態度に出るかは想像かつく。

それに、言ったら見損なわれそうな気がした。
こんな男だったのかと、失望されるのは嫌だ。

後悔しながら、前に踏み出せず、
ニールはことさらに増えたため息を吐いて、展望室から宇宙を見やった。

地上から見あげる空のように、青く澄んでいたら少しは気も紛れるのに、
視界に広がるのは黒一面の世界で、なおさら気が滅入る。

腕の時計を確認する。
艦内時刻はもうすぐ消灯時間を告げていた。
自室(といってもライルの部屋だが)に戻ろうと踵を返したニールは、
思わず目を瞠る。

そこに刹那が立っていた。

「ここにいたのか、ロックオン」

「どうした刹那、何か用か?」

兄さんじゃなくて俺になんて珍しい。

ライルの仮面を貼り付けて訊ねると、刹那は頷いた。

「ロックオン、大丈夫か」

刹那は唐突に聞いた。

「…何が?」

いきなり本題に入って、話をはしょる癖は誰にでも一緒なんだ、
と思いながらニールは聞き返した。

「最近、お前の様子がおかしい」

心配してくれたのか、
とニールの顔が綻びかけるが、そこで気が付いた。

これは刹那がライルに向けた言葉だと。

自分にかけてくれた言葉でも、その対象は自分ではない。
嬉しい言葉なのに、複雑な気分になる、素直に喜べない。
そんな自分にニールの気持ちは更に沈む。

「顔色も優れない。何かあったのか」

ニールの気持ちなど、わかる訳がない。
刹那はそのままニールの頬に手を伸ばした。

「刹那…」

「何かあるなら、言ってくれ」

頬を優しく撫でて離れて行く手に、ニールは呆然とした。

気遣わしい瞳で、自分を見つめる刹那の瞳に、
頬に残る温もりに、胸が苦しくなる。

「…大丈夫だ、なんでもないよ」

「だが…」

「そういう気遣いは、兄さんにしてやれ」

笑えたかどうかは自信がないが、ニールはそれだけいうと
「じゃあな、お休み」と刹那の脇を通り過ぎた。

刹那は普段、ライルにこんな風に優しくしているのだろうか。

機体の整備で根をつめた自分や、
疲れた自分に向けられる刹那の態度と、何一つ変わらない。

あれは自分だけではなかったのか。

特別な態度でも何でもないのだ。
他のメンバーにも、こうしているのかもしれない。
気遣って声を掛けているのかもしれない。

自分のことは自分では見えない。
本当にその通りだ。
そして自分は気がつきもしなかった。

知りたくなかったな、こんなこと。

ニールは、ライルに迂闊にも頷いた自分の行動を後悔しながら、
自室に戻っていった。

<続く>


タミさま
「Masquerade」は前後編でお届けします。
攻めの焼きもちが今回のコンセプト。
私もそれは大好物ですし「よーし、頑張るか」と気合いを入れたら、
なんか攻めの懊悩みたいになっちゃって…すみません。
もう少し軽いテイストをご希望かとも思ったのですが、
浮かんだ話がこれだったもので、本当に申し訳ないです。
後編は鋭意制作中ですので、もう少しお待ち下さい。
もちろん、ちゃんとハッピーエンドです。