Masquerade・後編

 

 

あれから3日が過ぎた。

いまやニールの心境はトレミーの周りに広がる、宇宙より暗い。
もやもやとした黒い感情が、内面を侵食している。

そんな時は、自室に引きこもって休んでしまえばいいようなものだが、
いまの自室はライルの部屋である。
弟とはいえ、他人の部屋は、どこか落ち着かない。

かといって他のクルーといるのもキツイ。
何も知らない彼らは当たり前のように自分を『ライル』と呼ぶ。
それもどうかと思う。

結果一人になれる場所を捜して、
展望室でぼけっ、と星を見ながら過ごす毎日を送っている。

ライル(・・・)、何してんだこんなところで」

いまは自分の姿をした弟、ライルがそう声をかけてきた。

「兄さんって呼べよ」

「だめだよ、バレちまうだろ」

「バレるもなにも、ここには俺とお前しかいないだろうが」

一人になりたいのに、そういう時に限ってこいつはちょっかいを出してくる。
普段なら相手もできるが、あいにくいまの自分にそんな心の余裕はない。

ライルの方を見もせずに答えた。

「なんか用か」

「うん。兄さん、刹那って可愛いな」

しかも一番触れられたくない話題をふってきた。

「なにを今更…」

わかりきったことを。
ニールは不機嫌を隠しもせず言い返して、はっ、となった。

何を根拠にそんなことを言ってきたのか、こいつは。

「まさかお前、刹那になにかしたのか…!」

マイナス思考に陥っている人間の考えることは、
どこまでも最悪で救いのないものになる。

ニールも同様で、みるみる顔色を変えて詰め寄った。

「冗談だろ」

何もしてないよ。

ライルは焦って両手を振って否定する。
兄が何を考えたのか知らないが、だいたい想像はつく。

そんなこと、怖くてできるわけがない。

「普段の態度のことさ。
 兄さんには素直だよな、よく笑うし、甘えてくる」

「……」

「兄さん?」

今度はむっすりと、押し黙ってしまったニールを窺うと
「俺は面白くない」とぼそりと言われた。

「仕方ないじゃないか、刹那は気が付いてないんだから」

「そうじゃない」

「は?じゃあなんだよ?」

ライルは訳がわからない顔をした。

「刹那はお前にも優しい。俺に対する態度を見ていたら、それがよくわかった。
 俺だけの態度だと思っていたのに違った。それがつまらない」

「ああ、そういうこと」

これがあの兄だろうか。
ライルは呆れ返った。

何もかも自分より優秀で、面倒見がよく大らかな、
あのニール・ディランディだとはとても思えない。
幼い頃から、兄は自分と比較することなど決してしなかった。

刹那が絡んでいるからこんな態度になるのか。

だとしたら、兄さんはどれだけ刹那が好きなのか、
思い知らされる気分だ。

そんなに心を占める相手がいることが、つくづく羨ましい。

「考え過ぎじゃないのか、兄さん。
 オレそんな風に思ったことないけど」

「お前が、気付かないだけだろう」

なんだろう、この突っかかり方は。
まるでガキの頃兄に反発していた自分のようではないか。
刺々しい言い方に、ライルは弱り切った。

とりなすとか、慰めるとかいったことは得意じゃない。

「あー、もうそんなに言うなら、刹那に話しちまえよ。
 オレ達のこと」

ニールの癖が移ったのか、それとも同じ体だからか、
ライルはがりがりと頭を掻いた。

「ああ、そのつもりだ」

「兄さん?」

もう限界だ。

面白半分で、ライルの尻馬に乗ったことをニールは後悔していた。
みんなを騙していることも嫌だし、何より刹那をこれ以上誤魔化したくなかった。

刹那は気が付いてくれなかったが、それは自分の願望に過ぎない。
ムシのいい願いだ。

元々うり二つの自分達が入れ替わっている。
そんな状態、気がつけという方がどうかしていた。

「…まあ、潮時かもね」

オレもそう思ってた。

初めと全く違うことを、ライルは言った。

「最初は面白かったけど、飽きてきた。
 第一、兄さんになりすますなんて、オレの柄じゃない」

「最初は乗り気だったじゃないか」

「初日だけね。後はオレも兄さんと同じ」

ニールは弟の顔を凝視した。

自分よりは遙かに楽しそうになりすまして、
この入れ替わりを楽しんでいるかと思ったが、違ったのか。

そう訊ねると「まあね」と意味深な目で頷く。

「なんだ?」

ライルの物言いたげな視線が気にかかる。
だがライルは「何でもないよ」とはぐらかした。

「二人とも、ここにいたのか」

気になって問い詰めようとしたニールは、刹那の声に振り向いた。
いつのまに来たのか。
展望室の入り口から、刹那がこちらを伺っていた。

「じゃあな」

タイミングを計ったように、ライルはニールの肩を叩くと、
そのまま展望室を出ていってしまう。

後にはニールと刹那が残された。

「いいのか、刹那。兄さん行っちゃったぜ」

「いいんだ」

ニールは刹那の顔を見ることができず、背をむけて、窓に目をやった。

「お前が心配だから」

隣に立って、星を眺めながら、刹那は静かに答えた。

「…兄さんが焼きもちやくぜ」

そんなこと言わないでくれ、なおさら辛くなる。
嫉妬を抑えつけながら、まだライルの仮面をつける自分は、
我ながら馬鹿かと思う。

「そうだな」

そう言われるなり、頬を両手で包まれた。

「刹那?」

無理やり刹那の方を向かされたニールの唇に、刹那のそれが重なった。

口づけは一瞬だった。
ニールが驚く暇もなかった。

いつもなら物足りなくて、追いかけてもっと深いキスを交わす。
だがニールは離れていく唇を追うことが出来なかった。

「刹那…」

温かい感触を唇に覚えたまま、
目を見開いて、その場に立ち尽くした。

「どうした?いつもしていることだ」

刹那の言葉に、愕然とした。

いま刹那は、なんと言ったのだろう。
ライルとも、こういうことをしていたということなのか。

自分という存在があったというのに。

耳も頭も理解しているのに、信じられない。
いや感情で納得できない。

ニールは蒼白になった。
刹那に話そうと思っていた気持ちが、急速にしぼんでいく。
代わって怒りにも似た感情がわき上がる。

「…兄さんがいるのに、こういうことできるんだ、刹那は」

刹那の顔を見ることはできなかった。
押し殺した声でニールは訊ねる。

「お前ならできる」

答えは残酷だった。
聞きたくなかった、こんな言葉。
いや知りたくなかった。
胸にナイフを突き立てられているのに、痛みも何も感じない。
感覚が麻痺している。

それほどの衝撃だった。
刹那が自分を裏切っていた、その事実が。

「同じ顔だから?それとも他の理由?」

絶望にうちひしがれながら、聞かずにはいられない。

毒を喰うなら皿まで。

どうせなら全部聞いてやる。
半ばヤケクソの、死刑宣告を受ける心境で、刹那の次の言葉を待った。

「お前だからだ、ニール(・・・)

刹那の口から、紛れもない自分の名前が紡がれて、今度は呆然とした。

「…どうして…」

見る事ができなかった刹那の顔を、
瞳を見つめながら、ニールは呆けたように訊ねた。

さっきとは意味が違うが、今度のセリフもまた衝撃だった。

「ずっと待っていた、お前が話してくれること。
 すぐに訳を話してくれると思っていたのに、なぜ黙っていた」

「気が付いていたのか、お前…!」

まだ半信半疑のニールに、刹那はしっかりと頷いた。

「いつから」とニールは訊ねる、刹那は「最初から」と言った。
ニールの姿をしたライルに朝の挨拶をされた時から。
すぐに分かったと刹那は言った。

「俺がおまえを、間違える筈がない」

刹那はそう言うなり、ライルの身体をしたニールを抱きしめた。

「お前からしか、貰えないものがある」

俺がそれを間違う訳がない。
確かめるように刹那が、ニールの背中を撫でる。
指の動きは、体を重ねる一時のそれを連想させた。

「刹那…!」

回した腕で、自分に強く抱きつく刹那を、ニールも抱きしめた。

刹那は分かっていた。
ちゃんと分かってくれた、自分が誰であるか。

気が付いてくれると、自分も言った通り、間違えなかった。
いままでの鬱々とした思いが嘘のように払拭されていく。

驚きと僅かの自失のあとに訪れるのは、歓喜の感情。
そしてどうしようもないくらいの刹那への愛しさだった。

「どうして、黙っていた?ニール…」

腕の中で、刹那が同じことを聞いてきた。

「いや、それは…」

ニールは言い淀んだ。
どんな経緯で黙っていようということになったのかを思い出すと、
自分の浅はかさが嫌になる。

「もしかして、面白がっていたのか」

「…ごめん」

見透かしたような刹那の言葉に、
ニールは抱擁の腕を解くと、その顔を見下ろした。
刹那の顔はどこか悲しげに見えた。

「お前は嫌じゃないのか。俺が他の相手と親しくしていても。
 それを楽しめるのか」

俺は嫌だ。

「刹那」

ニールは辛そうな刹那の頭を抱いた。

「ごめん、刹那」

何回もくり返しながら、ニールは刹那の黒髪に唇を落とす。

時には喧嘩にもなるし、言い争いもする。
そういう時、いつもなら謝って、詫びの気持ちと愛しさを込めて、唇を重ねる。

言葉にできない思いをそれに託す。
だがライルの身体である今はそれができない。
例え中身が自分だとしても、他の誰にも刹那に触れさせたくはない。

だから自分にできることは、せいぜいこの程度だ。
ニールはもどかしく思いながら、癖のある黒髪に顔を埋めた。

きっと刹那も同じ気持ちだったのかもしれない。

ニールは、刹那に訳を話した。

自分は正直に話さなければ。
それが刹那に対する、自分の誠意だ。

惑わされることなく、自分を分かってくれた刹那への。
プライドや、ライルへの体面などどうでもいい。

抱きしめられたまま、黙ってニールの話を聞いていた刹那は、
経緯を全て聞いたあと、深くため息を吐いた。
それが返事だというように。

「ごめんな、刹那。さっさと話さなくて…」

ニールが刹那の顔色を窺った。

「それで、楽しかったか」

刹那はじろり、とニールを上目遣いで睨む。
刺々しい口調の刹那に、身が縮む思いがした。

「いや、全然」

刹那がライルと楽しそうにしているのを見て、
気が気じゃなかったし、腹が立った。

「なら、俺の気持ちも分かるな」

「ああ」

「だったら、いい」

神妙に頷くニールに、刹那はようやく、
いつもの淡々とした調子に戻ってくれた。

どうやら免罪符は貰えたらしい。

ニールは、ようやく安心した。

刹那にバレたのなら、隠しておく意味などない。
ニールは明日のミーティングで他のクルーにも話すと言った。
そこで対処法を考える。

こうなったからには、一刻も早く戻りたい。
言葉だけじゃなく、身体で気持ちを伝えたい。

ライルの身体のままでは、これ以上は何もできない。
せいぜいキス止まりだ、それが辛かった。

「そうだな、俺も辛い」

刹那も苦笑して同意する。

「刹那、煽らないでくれるか」

いまでさえ、理性はギリギリだ。
普段なら即どちらかの部屋に引っ込むパターンである。

もとは自分に原因があることだが、
それを棚あげして、ニールは苦々しい顔になった。

刹那は今度は可笑しそうに笑う。
そして、ニールの唇を指でなぞってきた。

「…もしかして、これも罰の一環か?」

いたずらな刹那の手を取って、ニールがその指に口づけた。

「…さあ、どうだろう」

笑みを深くしてはぐらかし、ニールの口から手を取り返す。

二人はそのまま、見つめ合った。

「やっぱり罰じゃないか」

やがてニールが苦笑して、刹那の頬に音を立ててキスをした。

 

昨日までとは違い、晴れやかな気分でニールは自室に戻ってきた。

現金なものだ。
微重力なのに体まで軽く感じる。

部屋の前では、なぜかライルが待っていた。

「遅かったな、兄さん」

「ライル、どうした?」

「刹那にはちゃんと話したのか」

「ああ、話したよ」

展望室での、やりとりを話す。

刹那が、最初から気が付いていたこと。
自分とライルの身体が入れ替わってしまったこと。
それを言わずに今まで過ごしていたことを。

「俺もお前も、完全に刹那に惑わされてたってことだ」

いっそ感心して話したニールは
「いや、惑わされてたのは兄さんだけだ」とライルに宣告された。

「なんだと」

「実はオレ、刹那に言われたんだよね、入れ替わって2日目に」

なんでニールのふりをするのか。
そしてなぜニールまでライルになりすましてるのか。

ニールはなぜ、それを自分に話してくれないのか。

全部白状させられたと、ライルはあっさり言った。

ニールは仰天した。

「おま…!なんでそれを言わない!」

血相を変えたニールに凄まれ、ライルは思わず後ずさった。

「怒るなよ、兄さん。
 刹那に約束させられたんだ。兄さんには言うなって…」

「刹那が?なんで…」

ニールは意味がわからず、戸惑った。

そっちがその気なら、こっちにも考えがあると刹那は言った。
だからことさら、ニールになりすました自分に優しくしていたという。

「兄さんの中、自分で一杯にしてやるってさ」

それで自分も協力したという。

「オレ『刹那って可愛いな』って、言わなかった?」

それはこういう意味だった。

黙ってたのは悪かったが、
こっちの方が面白そうだったからつい、乗ってしまった。

許してくれよな。

ライルはちっとも悪く思ってないとわかる、軽い調子で謝ってきた。

「じゃああれは全部、刹那の演技か…?」

オレ(・・)に対してはね」

「ライル。お前覚えてろよ」

ずっと騙しやがって。

「それを言うなら、刹那にだろ」

相手が違うし、オレらも同罪。

そう言われて、ニールが詰まった。

ライルは片目を閉じたあと、笑って離れて行く。

「肝心なことには気がついてないのな、兄さん」

ライルは小さく呟く。

今の兄さんへの刹那の態度が、
普段の兄さんへの態度そのものじゃないか。

それにも嫉妬なんて大概だよ。
ライルはその滑稽さに笑みを零す。

笑うライルに気づくことなく、ニールは完全に降参の心境だった。

惑わすつもりが、惑わされた。
だが刹那なら悪くない。

なによりまた一つ、刹那の素直な気持ちが聞けて嬉しい。

本当に一刻も早く、この仮初めの身体から、元に戻らなければ。
明日ティエリアにでも泣きついて何とかしてもらおう。

(そんなことしなくても、俺の中はお前で一杯だ、刹那)

ニールは心に呟いて、ライルの部屋に入っていった。

<終わり>

タミさま
「Masquerade」前後編、終了いたしました。
リクエストに沿う内容でしたでしょうか。
結局は刹那が一枚上手ということでした。
年下に振り回されるディランディ兄弟。兄は惚れた弱み、弟はそれに付き合って…
書いていて大変そこは楽しかったですが、少し大人げないニールでした。
キリ番リクエストで書くお話は、いつも新鮮な気持ちを与えて下さるので、
毎回うんうん唸りながらも楽しく書かせていただいております。
タミさま、リクエストをいただきありがとうございました。
楽しんでいただけましたら幸いです。