宣言

 

 

焼け付くような暑さの夏を過ぎれば、
アザディスタンはすぐに冬へと向かう。

傾き始めた陽光が大地を照らす。
刻一刻とその赤味が増す中、街道を歩く隊商や旅人の数は少ない。
日没までに町や村に入るなり、夜営の準備をするなりしなければならないから、
当然とも言える。

そんなアザディスタンの街道を蹄の音も高く、駿馬達が駆け抜けていく。
少ないとはいえ、往来に人がいない訳ではない。
それを蹴散らすかのような勢い。

大陸公路を南下し、自国へ向かうニールの一団だった。

急がなければならない。
早く、一刻も早くディグノシアスへ。
刹那がアロウズに連れて行かれてしまう前に。

焦燥が、ニールの手綱さばきを荒々しいものにする。
険しい表情で馬を駆るニールに、
僅かとはいえ、街道を行く人々は慌てて道を開けた。

 

やがて先頭を走るニールの目に、町が見えてきた。

「ニール、あの町で馬を替える!」

後にぴたりと着いて走るアレルヤが怒鳴った。
怒っている訳ではない、こうしないと聞こえないからだ。
しかし前を走るニールから返事はない。

「ニール!」

「わかってるよ!」

蹄が大地を蹴散らす音に負けないためだろう、
こちらも怒ったような声が返ってきた。

町に入ったニール達は、先行していた一隊に迎えられる。
駐屯していた部隊長は、次の町まで先見を派遣していると報告してきた。

「今夜はここに泊まろう、ニール」

手渡された水で喉を潤したあと、アレルヤが言った。

「いや、もう少し先まで進んでおきたい」

ニールはそう言うと、飲み終えた杯を兵に返し、
替えの馬に跨がろうとした。

「駄目だよ、ニール」

アレルヤが肩を掴んで押し留めた。

日没はすぐそこだ。
いまから次の町までは、日の落ちた中の騎乗となる。

この様子だと、全力に近い勢いで馬を進めるだろう。
闇の中、そんなことをさせては落馬の危険があった。

それに馬は変えられても、乗る人間は代わらない。
騎乗は体力を消耗する。
ニール自身も相当疲労している筈だった。

「大丈夫だ、無茶はしない」

「その行動自体が無茶だよ」

アレルヤはニールの安請け合いとも言える返事に、
ますます危ないと判断する。

いつもの冷静さがない。
焦る心と疲れた身体、それが夜の闇を進むなんて、
無事にいけると思う方がどうかしていた。

「急がないといけないんだ」

「気持ちはわかるよ、でも聞き分けて。
 ニールに何かあったらそれこそ全て終わりなんだ」

「アレルヤ、俺は…!」

アレルヤはあくまでも冷静に首を振った。

「突っ走るだけが能じゃないよ。
 陛下の後を継ぐなら待つことも覚えなきゃ」

ニールはアレルヤを射るような眼差しで見つめた。

「そうだよね?」と言われ、ニールの肩からやがて力が抜けた。

「…わかった。お前の言う通りにする」

「良かった、わかってくれて」

アレルヤもようやく安心したように、表情を和らげた。

「殿下を宿にお連れして」

「はい」

控えていた兵士に案内させ、
ニールが歩いていくのを見届けた後、大きく安堵の息を吐き出す。

(何とか聞き分けてくれてよかった)

言葉での説得は自分には向かない。

こういうことが得意なもう一人の側近、
ティエリアはすでに別行動で、ここにはいない。

僅かの兵と共に、アロウズへの最短距離を進んでいる。

明日か明後日には、ラッセの部隊と合流するべく自分もこの一団を離れる。

そうしたら、ニールを制止できる者が誰もいなくなる。
くれぐれも無茶をさせないようにしなければ。

ニールが刹那を大切に思うのと同じくらい、
彼自身がディグノシアスにとって得がたい存在なのだ。

今晩もう一度、宿で釘をさしておこう。
アレルヤはそう決意して、ニールの後を追った。

 

2日後。

アレルヤと別れたニールは、
強行軍ではあるが無謀はせず、ディグノシアスに向かった。

最短に近い日数で、ニールがエクシアに戻ったのは早朝だった。
王宮には向かわず町中の館に入る。

迎えにでた侍従に指示をだすと、着替えを済ませる。
さすがに少しやつれたようで、
休養だの医師だのと、やいやい言われたが、すっぱり無視した。

身なりを整えたあと、改めて王宮に向かった。

執務室へと歩くニールに、居合わせた兵や貴族達は次々に平伏する。
中には話しかけてこようとする者達もいたが、
威圧するような視線で黙らせ、国王の元へ急いだ。

「戻ったぜ、親父」

扉が開かれるやいなや、ニールの声が執務室に響いた。
朝の政務の為、書記官から書類を受け取った国王の手が止まる。

「放蕩息子が、ようやく戻ったか」

国王はニールを顰め面で迎えた。

今回は今までで一番長かった。
8ヶ月ぶりだ、と国王は言った。

「我が国の王子は、4人だったかと思い始めていたところだ」

「嫌味は後でまとめてきく」

何を言われてもどこか他人事のように飄々としている、
ニールの様子が違うことに、国王は気が付いた。

執務机を挟んで国王に正対し、
ニールは「頼みがある」と言った。

「戻るなりなんだ、いきなり」

国王は座ったまま、長子の顔を見あげる。

その顔は見たこともないくらい真剣で、切羽詰まっていた。
およそ初めて見る表情に国王は片眉をあげた。

「妃を娶りたい。ついでに親父の後を継ぎたい」

ディグノシアスの王族は、
正妃を迎えるにあたって、元老院の承認を得る必要がある。

ごり押しした例がないわけでないが、後々面倒なことになる可能性が高い。
何よりそうすると、刹那の立場が悪くなるおそれもあった。

「ついにその気になったか」

王位をついでよばわりされたことに、気を悪くした風でもなく国王は言った。

「で、お前の眼鏡にかなった相手は?」

「アザディスタン第三王女、刹那・ファルーカ・セイエイ」

彼女を自分の正妃にしたい。
ニールはそう言った。

「…セルゲイやイアンが色々動いていたようだが、このせいか」

お見通しとは、喰えない父親である。

いつもなら、駆け引きじみた言葉遊びに付き合うところだが、
ニールにその余裕はなかった。

「親父は?反対か」

国王は「まさか」と即答した。
「お前の伴侶だ。お前の決めたことに口はださんよ」

懸案の一つ目、まず国王の許可は取り付けた。

「だがことは私の一存だけでは決められない」と国王は言った。

父の言いたいことは分かっている。
まだ元老院議会が残されていた。

「わかってるよ」

二つ目にして、最大の懸案事項にニールも頷いた。

「では最初の試練といこう。議会は招集してやる。
 だが私がやるのはそこまでだ。あとは自分でなんとかしろ」

国王は言外に、リボンズとはニール自身で渡り合え、と言ってきた。

「そのつもりだ」

我が子の返答に、国王はその真意を窺う。

思いつきや、恋情に目を眩ませての行動かとも思ったが、
どうやら違うらしい。

ニールは長子ということを抜かしても息子達の中で、一番優秀だ。
皇太子にするなら、この息子と秘かに決めてもいた。

だが本人が、どこかそこから逃げているところがあった。
しかし、戻ってきたニールにはその気配が微塵も感じられない。

8ヶ月の間に何があったのか。
国王はニールの心境に変化を起こさせた理由があると考えた。

「何があった」

その理由を知りたくて、国王は率直に訊ねた。

ニールは刹那との出会いを、父王に説明した。
彼女とどんな風に過ごしてきたか、彼女が何をしようとしているのか。
そして、その言動に触れて目が覚めたことを。

「そうか…」

「俺の考えは甘いと思う。
 だが、彼女だけは、どうしても失いたくないんだ」

国王は黙ってニールを見つめた。

「他国の戦を対岸の火事とは思わん」

ましてやアロウズのこと。
いずれ必ずこの国にも影響を及ぼしてくる。

だとしたら主導権はこちらで握った方がいい。
ニールの決断も、あながち私見だけとは言えないだろう。

しかし元老院やリボンズはどう判断するかは分からないことも、正直に告げる。

「勝算はある」とニールは言った。

戦で一番大事なのは、戦術じゃない、戦略だ。
いかにこちらにとって、有利な条件を整えてその場に臨むかだ。

「では、お前の手並み拝見させてもらおう」

含みのある笑みを見せる国王に、ニールも同じ笑いを返した。

 

翌日、長衣の右胸に元老院議員の証である、
常緑樹の枝をさした貴族達が、議場に集まった。

そこでニールの帰国が告げられ、続いて正妃を娶ることが宣言された。

慶びの言葉がさざ波のように議場に広がる。
一同を介し、副議長のブリングが祝いの言葉を紡いだ。
だが、刹那の家名、セイエイの名を聞くと、それはざわめきに代わった。
その名はいまアロウズが不穏な動きをむけている、
アザディスタン王家の名前だからだ。

刹那の置かれている状況を話すと、ざわめきはさらに大きくなった。

さすがにまずいのではないか。
誰かが控えめに言った。

自分を支持する貴族達の顔にも、困惑が広がるのが分かった。

「いや」

ニールはそれに対して、きっぱり反論した。

6年前から勧めてきたアロウズの包囲網は、
アザディスタンとの同盟を持って完成する。

包囲網の国々の中で、あの国は最も自国から遠い。

遠いからこそ、強固な結び付きが必要だ。
アロウズとアザディスタンに姻戚関係を作れば、
それはあの国に力をつけさせることになると説いた。

「詭弁ですな」

若々しくも冷たい声が、議場の石壁に響いた。

(来たか…)

議場入り口に、リボンズがたたずんでいた。

振り向く議員達の注視を受けながら、
臆することもなく歩いてくる。

若々しい声に違わぬ若い容姿。
壮年以上で埋め尽くされた元老院議会にあっては、ニールと同年代に見える。
しかし実際は議員達と変わらない年齢だった。

「いつから元老院議会は、議長抜きで始まる決まりになったのやら」

柔和な笑顔をたたえ、穏やかに話すものの、
この男の本質はそれとはかけ離れたところにあることは皆知っている。

見た目と態度に騙され、墓穴を掘った貴族や他国の使者は数えきれない。

議員達は思わず身を固くした。

「悪かった」

このリボンズを怖れないのは、国王とニールくらいである。
ニールは素直に謝ったあと「詭弁とは人聞きが悪いな」と苦い顔をした。

だがリボンズは動じない。

「詭弁でしょう。
 第一どうやって、アロウズにその王女を諦めさせるのです」

「簡単さ、こっちが先に約束していたと言えばいい」

「…常識の通じる相手ですか」

「我が国のいうことなら従う」

そこまで馬鹿じゃ無いはずだ。

リボンズは仰々しく嘆息した。

「あなたは、戦を起こしたいのですか」

アザディスタンのおかれている現状は、あなたの言うような甘いものではない、
とリボンズは言った。

「まさか。起こさせないよ」

ニールもわざとらしく、さも心外という態度を取った。
意趣返しというやつである。

「あの国の動きは、こちらでも掴めないことがある。
 実際に軍を動かすことは十分考えられます」

リボンズは、歯牙にもかけず指摘した。

父王に匹敵する喰えなさ加減である。
ニールは内心うんざりした。

「タイミングのいいことに、ラッセの軍が北に向かっている、
 それで威圧すればいい。北方方面軍と併せれば、戦力としては申し分ない」

「それこそ、危険でしょう」

「どうしてだ?ラッセの軍はキュリアスに向かうのに」

キュリアスと聞いて、リボンズの目が眇められた。
二人の遣り取りを聞いていた貴族達の大半は、
なんでここにキュリアスが出てくるのかと、再びざわめいた。

ニールは説明した。

キュリアスは藩属国だが、
ディノシアスの庇護があるという立場に甘んじて、
他国に情報を流しているという噂がある。
周辺諸国に理不尽な要求もしている。
同盟国同士の不協和音は避けたい。

だから二重の意味の牽制でそこに向かわせるつもりだ、と言った。

「牽制…ですか」

「ああ、そうさ」

キュリアスの宮廷は、この動きに震え上がる。
キュリアスに軍を留めておけば、アロウズは逆に手を出せなくなる。
攻め込んでもそこはキュリアス、ディグノシアスが痛手を受ける訳ではない。
だが同盟国だから、攻め込まれた時点で即反撃できる。

アザディスタンはアズール河と交易を二分する大陸公路、
それに次ぐ絹の道が通る、南マウンティア交通の要所。
アロウズには絶対に渡せない。

自分の放蕩ぶりは、他国に広く知られている。
横やりをいれたところで、真意はわからないだろう。
自分が考えたように人も考えると思う。
人間とはそういうものだ。

国王は議場の扉の外で、ニールの話を聞いていた。

議員達の、息を呑む気配が伝わってくる。

我が息子ながら、いろいろとよく考えるものだ。
ティエリアやアレルヤがいないのは、
どうせそのつもりで先に動かしているのだろう。

(だが、まだ足りない、ニール)

人が動くのは理詰めではない。
それをわかっているかどうか。

国王の懸念をよそに、ニールは最後に、と言った。

「色々話したが、全部理由付けだ。
 私はファルーカ・セイエイ王女を正妃にしたい。
 彼女を側におきたい。彼女となら国を背負える。
 それが全てだ」

その望みをどうか叶えて欲しい。

そしてニールは刹那の決意を、
父に話したと同じように議員達にも話した。

「おお」「素晴らしい」そんな声があちこちから漏れた。

セルゲイやイアンの尽力により、元々支持の体勢はできていた議員達だが、
この話により、中立派の心情も動かされたようだった。

「リボンズも、それはわかってくれている」

流れが変わったことを見てとったニールが、最後の切り札を出した。

「ここに書簡がある。
 アロウズの包囲網完成として、そして今後の我が国の為、
 アザディスタンの王家と婚姻を結ぶことを望むと」

ティエリアに託した手紙を議員達に見せつけるように掲げる。

これは予想していなかったらしい。
虚をつかれたリボンズはニールを見やる。

周りが口々にリボンズの先見性を讃えるのを聞き、苦々しい顔になった。

「わかりました」

リボンズは頷くと、ニールの後をうけ採択に移った。

評決の結果は、
刹那がニールの正妃となることを承認し、かかる軍事行動も認めるというものだった。

あとは議長が認めるだけとなった。

「リボンズ、お前はどうだ?」

ニールは静かに訊ねた。

「…陛下はなんとおっしゃっていましたか」

「元老院議会次第だと」

「あなたは、私が『否』と言えば、その採択を受け入れますか」

「……ああ」

躊躇った後だが、ニールはキッパリと言った。
痛い位の眼差しがリボンズに向けられる。

緊張のためか、長身の身体が強張っているのが良く分かった。

周囲の貴族達も固唾をのんで、リボンズの言葉を待った。

「……よろしいでしょう」

深い緑の瞳の奥を見つめたあと、リボンズは嘆息した。

「感謝する、リボンズ」

ニールの肩から力が抜けた。
議場に安堵が広がり、空気が柔らかくなった。

リボンズは一瞬だけ、微笑むように唇を上げたが、すぐに真顔に戻った。

「採択はなされた」

リボンズは宣言する。

「ディグノシアス元老院機会は、全員一致をもって、
 アストレイデス・ディランディの婚姻を認めるものとする」

決して大きくはない。
だが良く通る声が議場全体に響き渡り、議会は解散した。

 

「もし私が、あの時認めなければ、どうしていました」

解散の後、ニールに歩み寄り拝礼し、リボンズはそう聞いた。

そこまで、考えてなかった。
ニールは高い天井を見あげなから言った。

「お前は臣下として、俺を誰よりも思ってくれる。
 だから俺の気持ちがわからない筈がない」

「甘いですね」

そんなニールの考えを、リボンズは一刀両断する。

「親父にも言われた」と苦笑し、改めてリボンズに向き直った。

「だから俺には、お前が必要だ」

リボンズは、ニールの倍は生きている。
だから助けて欲しい。力を貸して欲しい。
これから自分が国を率いていくためにも。

「あなたの意に添わないことを、これからもやる男を…ですか」

「それは、俺の為だからだろ?」

リボンズは二の句が継げなくなった。

「図星か」

ニールは意味深に笑うと、
リボンズの肩を叩き、立ち去っていった。

「ニールには形無しだな、お前も」

入れ違いに入ってきた国王が、リボンズに近づいて言った。

「寝た子が、ようやく起きる気になってくれたようです」

リボンズの声は、肩の荷がおりたような、そんな声だった。

「感無量か」

リボンズは頷き「それは陛下も同じでいらっしゃるでしょう」
とすまして言った。

国王は答えず、ふふんと笑う。

「あの調子なら、すぐに任せられそうだ」

「はい」

リボンズはニールが出て行った扉に目を向ける。
その視線を追いながら、国王も満足気に目を細めた。

 

議会の承認を得たあとのニールの動きは素早かった。

先行させていたアレルヤとティエリアの行動を正式に任命し、事態を片づけた。

全てが片づいた後は、特使としてブリングを出発させる。
特使に誰が立つかでは、ちょっとした争いが起きたと後で聞いた。

そして後を追うように、自分の出発の日がやってきた。
ティエリアとアレルヤとは途中で合流することになっていた。

「ニール、このままファルーカ王女を連れて戻ってきてもいいぞ」

首都の城門まで、暇潰しをかねて見送りにきた国王が、面白がった。

「できる訳ないだろ」

何でそういうことを言うのか。
人の気も知らないで。
ニールは馬上から父を睨んだ。

「お前を夢中にさせた王女に興味がある」

早く会いたいものだ、と国王は言った。

「親父もきっと気に入る、楽しみにしててくれ」

とてもいい娘なんだ、とニールは言った。

「美人なんだろう?」

アザディスタンは美男美女が多い国だし、
何よりこの息子の心を捕らえた王女でもある。

国王は笑った。

「ああ、綺麗だ。そしてもっと、美しくなる」

刹那の面影を瞼に思い浮かべて、ニールは微笑む。

「もういい、さっさと行け」

追い払う仕草をした国王に一礼した後、
ニールは刹那と再会を果たすべく、アザディスタンへと馬を向けた。

<終わり>

緋月様
お待たせして大変大変(×20回くらい続く)申し訳ありませんでした。
ニールが国に帰って、刹那との婚姻を認めさせる話。
ようやく書くことができました。
基本リボンズはニールの味方ですから、とことん非情にはなりきれない…というスタンスで書きました。
ご期待に添うものかは疑問ですが、謹んで差し上げますのでお受け取り下さい。
リクエストいただき、ありがとうございました。