珠玉
青竜、白虎、朱雀、玄武。
四獣と呼ばれる者たち。
それは幻獣の中でも特別な存在。
ティエリアは、その中の玄武を生み出す一門宗家に生まれた。
玄武一門といっても、全てがその姿で生まれるわけではない。
格下の幻獣となるものも多い。
玄武で生まれた者の内で、真力が突出している者が、四獣の役を担う。
ティエリアの真力の強さは、誕生した時から分かっていた。
一門の長や、長老からもお墨付きを得た力は、
次代の四獣は確実と目された。
彼自身も、そのつもりだった。
幼い頃からの特別扱い。
周りの賛嘆の目は心地良かったし、
真力が強いことは、すなわち幻獣界をどれだけ体現しているかの証でもある。
いま思えば、天狗になった鼻持ちならない性格をしていた。
そんなティエリアだが、挫折と無縁だったわけではない。
成獣となるまで2人、その高い鼻をへし折られる人物に遭遇している。
一人目は、幼獣のころ。
真力の使い方―――剣や守護相印の結び方――――を教えてもらった師匠である。
彼にはどうしても勝てなかった。
種族が違うというだけではない。
彼に初めて会った時、ティエリアはその真力に圧倒された覚えがある。
一門の長や、長老より強大な力を感じた。
彼は竜族で、幻獣の中でも力の強い種族だ。
その宗家出身だったことで納得できた。
穏やかで面倒見のいい性格は、一族と過ごすより心が和んだ。
ティエリアはすぐ、彼を慕った。
他の幼獣もいる毎日で、自分の性格も少し矯正された。
長じて後、彼が緑竜であったことは驚いたが、
ティエリアにとっては尊敬すべき師匠だった。
だからまだいい。
問題なのは、あと一人の方だった。
成獣となり、師匠という形でなく、自分以上の存在があることに気がついた。
白虎の幻獣、沙慈・クロスロード。
それが彼の名前だった。
当代の巫女姫、絹江・クロスロードの弟。
高位の幻獣であるだけでなく、姉と同じ先見の力も持ち合わせている。
心優しく高潔な人格だという。
次の四獣候補というだけでなく、幻王にもなるのでは、
という声もあがる真力を保持していた。
ティエリアは、この沙慈に猛烈な対抗心をもった。
彼には負けたくない。
そう思った。
他にも力の強い幻獣はいるのに、
彼にだけそう思う理由は、自分でもよく分からなかった。
実際に会う機会がなかったことも一因かもしれない。
だから噂に余計に惑わせられたのかもしれない。
とにかく、何かにつけて張り合っていた気がする。
そんなある日、
ティエリアは、沙慈がガーディアンになったと聞いた。
聖永の玉を守るために、人間界に降りていったと。
それを聞いた時、
ティエリアは沙慈が玉の力を得るためにそうしたのか勘ぐった。
しかし、6年前に誕生したこの玉はいわくつきだった。
まず属性がわからない。
しかも誕生直後から魔獣の襲撃を受け始め、
そのせいで家族が命を失っている。
過去2名のガーディアンは、
そのリスクもあってその役を自ら降り、沙慈が3人目だった。
不明な属性、しかも初人となるには幼すぎる年齢。
玉の力目当てにしては、リスクが高すぎる。
沙慈は純粋に、玉を守るためにガーディアンになった、
と考えるのが妥当だった。
それがまた、癪に障った。
涼しい顔で、央国や自らの真力を高めることには、
何の関心もないようなその態度が。
それに汲々としなくても、いずれは自分たちが望む地位につけるのだと、
暗に匂わしているように思えた。
ティエリアはそんな沙慈に、
自分という存在をアピールしたくなった。
どうしたらそれを見せつけられるだろうか。
思案したティエリアは、
門を通らず転移の相印を結び、彼の前に現れてやろうと考えた。
空間を切り開くことは、並大抵の力ではできない。
力の誇示としては申し分ない。
そこには沙慈だけでなく、一門全て、
あわよくば幻王にも自らの力をアピールする意味もあった。
結果は惨々たるものだった。
空間の歪みに巻き込まれ、右半身を損傷して人間界にたどり着いた。
治癒の術を使っても再生が追いつかない。
痛みと醜く変わった半身の屈辱に震えていたその時、刹那に会った。
「大丈夫?」
うずくまる自分に声をかけてきた可愛らしい子供。
彼は「待ってて」と沙慈を連れてきた。
ティエリアにとっては不本意な出会いとなった。
「君は・・・ティエリア・アーデ…」
沙慈も、ティエリアのことは知っていたらしい。
突然現れたことには当惑していたが、すぐに状況を察したようだった。
「早く治してあげて、沙慈」
傍らの刹那にせっつかれたこともあり、
すぐに治癒の術を重ねて施そうとしてくれた。
対抗意識を燃やした相手に助けられるなど、
ティエリアのプライドが許さない。
「放っておいてくれ」
術を拒むべく手を振り払おうとして、横にいる刹那と目があった。
刹那は沙慈のズボンを握って、心配そうにティエリアを見つめていた。
そんな彼の前で、沙慈の手を邪険に扱うことはできず、術を受け入れた。
まずは見えるところ、とただれた顔を治された。
全てを治すことはさすがにできなかったが、
どうにか動けるようになった時、
刹那はおそるおそる「痛くない?」と聞いてきた。
「・・・少し。だが大丈夫だ」
そういって頷いたティエリアの元に、刹那は再び近づいてきた。
さっきと同じように、ティエリアの紫の髪をなで、
今度は「痛いの痛いの、とんでけ」と小さな手を空にかざした。
「なんだ、それは」とティエリアがたずねると
「おまじないだよ。こうすると痛くないんだ」と得意げに言った。
「まだ、痛い?」
効果はどれほどかと、大きな目を輝かせてたずねる子供に、
思わず「効いたみたいだ」と口走ってしまった。
刹那は「よかった」と胸に手をおいて息を吐き、ティエリアに笑いかけた。
これで完全に毒気を抜かれた。
このあと沙慈には、自分がここへ来る経緯を素直に話した。
ある意味屈辱ではあったが、沙慈は何も言わなかった。
笑いもせず、馬鹿にされることもなかった。
噂通りのできた人柄だった。
ティエリアは自分の気負いが、ますます恥ずかしく思えた。
話がすむと、幻獣界に戻るため、
破れた服を着替え、顔を隠すために帽子を借りた。
近くの門から帰ろうと、家を出たティアリアは刹那に声をかけられた。
「また来てね、お兄ちゃん」と手を振られた。
うっかりそれに頷いてしまった。
つられて手まで振ってしまった。
刹那はそんなティエリアに満足そうに頷き返し、家に入っていく。
ティエリアは上げたままの自分の手を、呆然と見つめることになった。
それから一年近く、刹那の家に通った。
沙慈に懐いていた刹那だが、自分がくると喜んでくれた。
刹那に会うことは、自分も楽しかった。
「まったく強い幻獣だな、君は」
何回目かの訪問のとき、ティエリアは沙慈に言った。
「やめてくれ、そんなことはないよ」
沙慈は首を振ったが、それこそ謙遜というものだ。
「事実だ。君の真力には圧倒される」
最近家の周りに張り巡らされたという結界の力を感じながら、
ティエリアは心から言った。
結界内の気は、央国の中と変わらないくらい清浄だった。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、この結界で真力はかつかつなんだ」
「刹那自身にも守りを施している、当然だ」
それで、以前と変わらない真力だったら立つ瀬がない。
憤然とするティエリアに、沙慈は「そうだね」と笑った。
「さすがの僕も、君には負ける」
「・・・君らしくないね、そんなこと言うなんて」
決して多くない関わりでも、自分の性格は見透かされているらしい。
沙慈の目に、自分はどんな風に写っているのやら。
ティエリアは苦笑いした。
だがそれも仕方ない。
玉の刹那は沙慈に懐いている。
いずれは初人になるのではないかと思う。
陰陽の法からすれば好ましくない組み合わせだが、
聖永は代々強力な玉を生みだす血筋だ。
元々の力にそれが加われば、自分など太刀打ちできないだろう。
ティエリアはそう言った。
「君も、ほかのみんなと同じなのかな」
沙慈はどこか悲しそうに言った。
「・・・どういうことだ?」
「玉をそんな風に見ることしかできない、ってこと」
自然と向き合い、その力の化身ともいえる玉を守り、
慈しむことが本来の幻獣ではないのか。
それが近頃は自らの真力を高めるための道具と捉えているように思える。
沙慈はそう言って表情を翳らせた。
「そういうつもりではない」
ティエリアは慌てた。
「僕が言いたいのはその・・・君は刹那に好かれているから、
い、いずれはそういう流れになるんじゃないかと思っただけだ・・・!」
「ティエリア・・・」
「そこまで想われるのは幸せじゃないか」
言っておくが羨ましいわけじゃないぞ。
照れ隠しにか、最後には怒ったような口調になったティエリアを、
沙慈は驚いたように見つめ「ありがとう」と礼を言った。
「でもね、僕は刹那をそういう対象とは見られない。
刹那もきっと同じだと思うよ」
彼が自分を慕う気持ちは、家族に向けるような愛情だと沙慈は言った。
「それは、まだ彼が小さいから・・・」
「そうじゃないよ」沙慈はいやにはっきりと言った。
「僕は多分、彼のガーディアンじゃないから」
今度はティエリアが驚く番だった。
「どういうことだ」
「最近よく夢を見るんだ。そこには大きくなった刹那が出てくる。
刹那はいつも誰かと一緒だ。顔ははっきりしないけど、それは僕じゃない」
「先見の力ということか」
「多分ね」
沙慈は微笑んだ。
「それが刹那のガーディアンだと思う。圧倒的な力を持っていたよ。
あんな力、僕はいままで見たことがない、誰にも感じたことはない。
あれは誰なんだろう」
沙慈は、そういって何かを探すように空を見上げた。
彼の言葉は、現実となった。
程なくして、魔獣アルマークと戦い、沙慈は命を落とした。
あれだけ懐いていた沙慈がいなくなったのだ。
優しい刹那のことだ、どれほど悲しんでいることか。
ティエリアはすぐに刹那の側に行きたかった。
行って慰めてやりたかった。
沙慈の代わりにガーディアンになろうとまで思い、
それを願い出た。
だが、許されなかった。
まだ魔獣が狙うかもしれない、玉の種類もわからない。
そんな理由で一門から止められた。
自分たちに逆らえば追放するとまで言われた。
魔獣の襲来を恐れるなど、それこそ本末転倒で、
ティエリアは呆れ返った。
玉の種類云々という声には憤った。
だがティエリアは結局、それに逆らうことはできなかった。
刹那の、次のガーディアンはすぐに決まった。
だが一年と経たず、役を降りたことを知った。
ティエリアは我慢できず、内緒で刹那に会いに行った。
実に2年ぶりの再会だったが、刹那はティエリアのことを覚えていなかった。
『あんたなんか知らない』
冷たい言葉だった。
ティエリアに笑いかけてくれた、あの子供はどこにもいなくなっていた。
慰めるつもりだったが、逆に自分が打ちひしがれて戻ってくるはめになった。
それから、会いにいくことができなくなった。
また冷たい言葉を浴びせられることを考えると怖かった。
しかし刹那のガーディアンが変わったと聞くたび、胸を痛める日々は続いた。
時が流れ、9人目となっていたガーディアンがその役を降り、
次のなり手が決まらない事態に至って、とうとう静観できなくなった。
刹那の側に行こうと決めた。
彼が自分を覚えていようといまいと関係なかった。
誰かが刹那を守らなければならなかった。
ガーディアンになることは反対されると分かっていたので、
司になることを願いでた。
これにも一門は猛反対したが、今度はティエリアもひかなかった。
言葉を尽くし、詭弁も使って説き伏せ、なんとか納得させた。
ただし次のガーディアンが決まるまで、との条件だった。
6年ぶりにあった刹那は、さらに変わっていた。
全てを拒絶する態度、感情が抜け落ちた表情。
沙慈の後のガーディアンたちの場当たり的な心無い言動で、
さらに心を閉ざしたのだろう。
何とかしなければ。
せめて刹那が、少しでも気が休まる場所を作りたい。
ティエリアは、彼の身の回りの世話をしていた半獣たちを全て入れ替えた。
色眼鏡でなく、刹那を見てくれる半獣たちを、集める意図があった。
自分も刹那の世話を焼くことにした。
玄武一門宗家である立場の自分が、刹那に心を配れば、
彼らも決して邪険には扱わない。
そんな思いもあった。
幸いなことにティエリアの目は正しく、
彼が選んだ半獣たちは無口無愛想な刹那を、なぜか放っておけないらしく、
率先して世話を焼いてくれた。
そして一年が過ぎ、10人目のガーディアンが刹那の元にやってきた。
ニール・ディランディ。
かつて自分の師匠だった幻獣。
50年ぶりに会う彼は、その真力をさらに増しているように見えた。
緑竜でなければ確実に四獣となるくらいの力だった。
比べて性格の方は全く変わっていなかった。
昔のままだ。
気さくで面倒見がいい、沙慈と同じように誠実な幻獣だった。
彼と暮らせば、刹那もきっと昔のように変わっていくに違いない。
そしてその通り、ニールが来てから刹那は変わった。
『ありがとう』
怪我をした刹那の治癒のため、
人間界にやってきた自分に、かけてくれた言葉を思い出す。
刹那は微笑んでいた。
そこには幼い時、自分を気遣い、笑いかけてくれた面影が確かにあった。
自分を通り越して、ニールに心を許し始める刹那を見るのは、
正直寂しい気もしたが、そんな彼を見ることは嬉しかった。
そしてニールも、刹那を大事に守ってくれていた。
ようやく安心できる幻獣が、刹那のガーディアンになった。
このまま、刹那を守っていって欲しい。
そう思うティエリアである。
だが、一つ気がかりがあった。
生前の沙慈と最後に交わした会話が胸にひっかかっている。
『刹那のガーディアンは別にいる』
ティエリアは、それがニールだと思った。
だが彼が、沙慈が話した圧倒的な力の持ち主なのだろうか。
確かに強力な真力だが、彼より強い幻獣は幾人もいる。
ならばニールも違うということか。
彼も、いずれ刹那は失うことになるのだろうか。
沙慈以来、はじめて心を開きかけている幻獣だというのに。
刹那には二度と悲しい思いはさせたくない。
例えガーディアンになれないにしても、
刹那は自分にとって大切な玉なのだ。
今度は力になりたい。
そう思うティエリアだった。
<終わり>